津曲 公二
日本はなぜスペインの植民地にならなかったのかと題して、第77回でとりあげました。出典は「戦国日本と大航海時代」でした(平川 新著 2018年 中公新書)。著者ご自身もこの疑問、つまり、日本はなぜスペインの植民地にならなかったのか、これが執筆のきっかけだったそうです。この本を読んで、さらに関係する本に興味がわきました。たまたま、「フロイスの見た戦国日本」はいぜんに読んだことがありました。これはフロイスによる「日本史」のダイジェスト版でした(川崎桃太著 2006年 中公文庫)。このほかを探していたら日本史で習った有名人、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)についての本が目にとまりました。彼はリーフデ号で豊後の国(現在の大分県臼杵市)に漂着したことは歴史の授業で教わりました。この本は彼と同国人の作家が書いたものでした。
この本の著者はイギリス人です(ジャイルズ・ミルトン著 築地誠子訳 2005年 原書房)。フロイスはポルトガルのカトリック宣教師でしたが、三浦按針本人も著者もイギリス人です。ポルトガルのカトリック宣教師とイギリス人(プロテスタント)の航海士では目線が違うだろうと思って読み始めました。
両書の特長はそれぞれ明確です。フロイスのほうは基本的に「業務報告書」のような感じでした。それでも、業務から逸脱したことを書き過ぎると上司から注意されていたそうです。さむらいウイリアムス(三浦按針)のほうは、さすがに同国の作家が書いただけあって小説のようにスリリングで面白い。もちろん、原典に記述されている部分とこの著者が補ったところはきちんと識別されています。400ページ近い大部なものですが、楽しく読むことができました。
とにかく詳細にわたって描写してあることが二つに共通する第一印象でした。フロイスのほうを初めて読んだときは、同時代の日本人は何を書き残してくれたのか疑問に思いました(もっとも、この疑問は筆者が無知なだけで他にあるのかもしれませんが)。フロイスは業務報告書を作成することが仕事でありかつ責任がありました。随筆などではないので、見聞きしたことを自分の立場からはっきりと述べる、そんな感じを受けました。これは三浦按針も同じで、ほとんど死にそうな過酷な航海についても航海士の責務として日誌をつけていたそうです。とにかく両書ともに文書として記録を残しておく、これについての執念のようなものを感じました。
さらに驚くことがありました。三浦按針のほうは小説風ということもありますが、登場人物たちが本国にいる雇い主や上司への訴えや釈明の文章が数多くありました。これが、まるで現在の我われの電子メールのような感じなのです。当時は日本とヨーロッパの往来は帆船によるしかありませんでした。遭難で沈没することも珍しくなかったし、無事に航海できても数ヶ月から1年を超えることもあったそうです。ところが、文面は本日出したら明日着く、といった感じなのです。
結局のところ、業務報告書にせよ電子メールのようなやりとりにせよ、猛烈な文字数の蓄積です。彼らの文書による記録に圧倒される思いが残りました。
コロナ禍によって、わが国でもテレワークが一気に普及しています。コロナ禍がどのような経緯によって終息するかわかりませんが、テレワークはさらに進展するでしょう。この流れは後戻りすることは無いと思います。
テレワークは基本的に上司不在の環境で仕事をすることになります。もちろん、三浦按針の生きた時代と現代は異なります。ビデオ会議、メールや電話も使えます。しかし、基本は上司不在のもとで黙々と仕事を続けることになります。従って、文書による記録が従来よりも一気に増加することになりました。文書による記録が格段に重要になったと言えます。しかし、文書による記録と保管についてわが国には残念な現実があります。一例として、次のような政府のやり方があります。
そもそもわが国政府は文書による記録の取り扱いがぞんざいなことが多く見受けられます。公文書を改ざんしたり、あっさり破棄したりする事例が多いように感じます。年金の記録と保管がお粗末で消えた年金と騒がれたこともありました。参考までに、米国政府ではどうなっているかを調べてみました。外交文書の場合、記録作成から30年以内に機密指定を解除されて国務省に移管・公開されるそうです。少なくとも30年で国民に公開されるということです。このあたりの事情は、わが国も米国のやり方を見習うべき点が多くありそうです。
テレワークの進展は、文書による記録と保管を重視することになります。この傾向はわが国にとって補強すべき好ましい変化と言えます。例えば、以心伝心は美風ではありますが、ビジネスの基本にはなりえません。忖度は悪しき行動と非難されますが、そうとも限りません。わが国古来のこれらの習慣や行動も捨て去ること無く、様ざまな業務に相応するレベルで文書による記録が残り保管できるようにする。そうすると、テレワークの進展をきっかけにしてわが国らしいビジネス文化が生み出されることが期待できる。平川 新氏による名著の読後感です。