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アランフェスの王宮 スペイン
アランフェスの王宮 スペイン

コロナ禍の脅威を我われ日本人が身近に感じたのは、発生源の武漢からの情報よりも本年2月横浜港に停泊したクルーズ船内の集団感染だったと筆者は思っている。連日、状況が報道された。乗客の方々が電話連絡もできず、「常時服用するクスリが欲しい」と走り書きのメモを船側から掲げる姿をテレビで見たときは、事態の深刻さにあらためて気づかされた。同時に、厚労省や自衛隊の派遣もあり、混成チームでの対応はうまくいっていないようにも感じた。他の国ではどうやっているのだろうか、これはやはり気になった。

アメリカ出羽守(でわのかみ)という言い方がある。「アメリカではこうなっています」とわが国はいかにも立ち遅れているとの指摘が得意な人たちを指している。感染症の対応に、理想的な組織として米国CDC(疾病予防管理センター)を紹介するテレビ番組をみた。ここでの紹介者はアメリカ出羽守ではなく、その組織が米国の国防上も必須であること、わが国では関連する組織が複数存在すること(役割が異なり米国のように統合されていないこと)などを知った。

米国での感染拡大は欧州よりも遅れたが、その被害は甚大だった。報道を見る限り、理想的な組織として紹介されたCDCの出番はほとんどないように見えた。もちろん、出番としてはCDCの蓄積した知見に基づく助言などに限られるだろうが、活躍しているのは各州の州知事である。米国は州の独立性が高いので、わが国の知事などとくらべて州知事の権限は大きいという特徴がある。とくにひんぱんに報道されたニューヨーク州知事の対応は、悲惨な状況にも関わらず市民の信頼は高いとのことであった。一方、国をまとめる立場の大統領は、いつもと変らぬ破天荒の言動で存在感を維持しているのが目立った。米国の大統領と州知事、筆者が強く感じた両者の共通性がある。それは「私が国の(あるいは州の)リーダーである」という誇りや責任感であった。事態の推移がうまくいっているかどうかに関わらず、これが見えると国民や市民はそれなりの安心感を得られるのではないかと思った。

わが国でも、東京、大阪、北海道などの知事の行動が注目を集めている。やはり市民と直接的な関係が深いので当然のことではあろうが、その人による差異はある。信頼を勝ち得る知事と、つまらない発言で馬脚を現した人もいる。平時には隠せても、このような非常時には隠せない悪い要素が明らかになる。誰であれ、地が出るとはまさにこのことだろう。

知事たちに対して、首相や政府閣僚に対する筆者の印象は悪化した。
当初、リーダーは厚労相であった。感染症ということから適切な選択と思ったし、クルーズ船への対応も厚労相がリーダーであった。ところが、いつの間にか、リーダーは経産相に交代したようである。企業や被雇用者への経済的な支援をどうするかは、経産省の守備範囲だろうから、リーダーが経産相に交代してもおかしくはないと思った。
ところが、おかしいのは厚労相やその他の閣僚たちである。厚労省の守備範囲ですら、すべての問題が解決したわけでは全くないのに、既に一件落着といった感じがする。リーマンショックなどとは比較できないレベルの国難に直面していると言われている。それにもかかわらず、他人事の感じを受ける。

みんなで力を合わせて、つまり総力をあげて対処するといったことが全く感じられない。
閣僚たちのリーダーは首相である。総力をあげて対処できないのは首相の責任である。いぜんに本欄で「・・戦時にリーダーを引きずり下ろして、良いことはひとつも無い」と書いた。また「首相は、24時間勤務のような疲れが見える」とも書いた。首相本人がリーダーシップを発揮できないのであれば自ら辞めてもらうしかない。我われ国民は首相をはじめとして閣僚たちと直接に会って本人たちの意思を確認することはできない。あくまでテレビなどのマスコミ情報で判断することしかできない。そういう情報ルートで効果的に人心の安定がはかれないようなら辞めてもらうしかないだろう。コロナ禍に直面して、将来のためになる良いきっかけになることもいくつかある。一方で、人心の不安を募らせるリーダーはコロナ禍に劣らぬ国難と言えるだろう。
本稿のはじめに、米国のCDC(疾病予防管理センター)を紹介した。感染症の対処を目的にした理想的と言われる組織も、今回の出番は無かったようである。筆者は、絶対に必要なことは、組織形態ではなくリーダーとしての誇りや責任感をもった人材であることを痛感した。国を問わず、行政や企業などの組織を問わず共通する必須要件であることをあらためて確認できた。

2020.6.08 津曲公二