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津曲 公二

『戦国日本と大航海時代』平川 新 2018年 中公新書
『戦国日本と大航海時代』
平川 新 2018年 中公新書

日本はなぜ「世界最強」スペインの植民地にならなかったのか

これは筆者がずっと疑問にしていたことでした。「坂の上の雲」(司馬遼太郎)を参考にしてマネジメントについて自著を最初に出版したのは2010年のことでした。そのころから疑問はあったものの答は見つかりませんでした。19世紀、アジア諸国でいわゆる列強の植民地にならなかったのは日本とタイだけでした。タイについては英仏という二つの大国のせめぎあいで植民地にならなかったということでした。ところが、わが国の幕末においては薩長にはイギリス、幕府にはフランス、それぞれが肩入れしていました。戊辰戦争を経て徳川幕府から明治政府に政権が移行しました。政権移行のプロセスが泥沼化すれば、英仏という二大国によってわが国は分割されそれぞれの支配を受けることになる可能性もありました。

今回とり上げた『戦国日本と大航海時代』の著者である平川 新氏もこの疑問が執筆のきっかけだったと書いてありました。この本で筆者は10年来の疑問が氷解しました。

スペインとポルトガルによる世界領土分割(デマルカシオン)

15世紀の大航海時代にまずポルトガルとスペインが海外に進出し戦争と征服により植民地化してきました。これらを効率的にやろうと両国がそれぞれの縄張りを約束したのが1494年のことでした。大西洋上の西経46度37分の子午線を基準に東側はポルトガル、西側はスペインの領土にする。つまり、世界を両国で分割するということです。余談になりますが、南米諸国の言語はほとんどがスペイン語です。ブラジルのみがポルトガル語ですが、その理由はブラジルがこの分割線の東側にあるからです。
両国ともに「キリスト教の布教と一体化した世界征服事業」を展開し、その尖兵となったのが宣教師だったと著者は説いています。これまでの学校教育で、筆者はこのような説明を聞いたことがありませんでした。

信長・秀吉・家康、それぞれの対応

信長は宣教師から贈呈された地球儀の説明を聞いて、即座に地球が丸いことを理解したそうです。そして地球の反対側から危険な航海をしてまで布教に来た彼らに対して「お前たちは盗賊か、あるいは説教に偉大なものがあるに違いない」と言ったそうです。宣教師の活動にいかがわしさと神秘さの双方を感じていたのだろうと著者は書いています。信長は日本の宗教との差異(一貫性や統一性)について評価はしても、自身がキリスト教徒になることはありませんでした。

秀吉は日本人が奴隷として海外に売買されたことを知り激怒します。スペインとポルトガルの宣教師や商人、あろうことか日本人(キリシタン大名)も奴隷売買に加担していました。秀吉は「全員を買い戻せ」と厳命しますが、どうにもなりませんでした。少年遣欧使節団の4名がヨーロッパで日本人奴隷を見かけて驚き、その境遇の悲惨さに衝撃を受けたそうです。古来、わが国には社会に奴隷制が定着したことはありません。少年たちは九州のキリシタン大名の名代として派遣されたのですが、ヨーロッパのキリスト教社会の現実を知りどう感じたのでしょうか。
また、秀吉の朝鮮出兵について従来は老いによる暴挙という解釈とは全く異なり戦略的な意図があったという見解を知り感動しました。これについては本欄の続編で述べることにします。不思議に思ったのは、わが国の歴史家は今までこのような見解を誰も持たなかったのはなぜだろうということでした。

徳川幕府は鎖国という固定観念がありますが、家康はもともと海外貿易促進派でした。海外貿易が九州の大名たちだけに偏っている現状を変革したいので、貿易と布教をセットにするスペインとポルトガルとの交渉には解決の糸口が見つけられませんでした。ところが、オランダとイギリスからのキリスト教徒(カトリックではなくプロテスタント)と巡り合います。彼らは布教を前提にせず貿易だけのおつき合いで良いという。これが、家康の積極的な外交のきっかけになりました。結果的にスペインとポルトガルは日本から撤退します。著者は、強大な軍事力を背景にした「貿易管理令」の発動であったと表現しています。当時、わが国は諸外国から「帝国」と呼ばれていたそうです。スペインでさえ「王国」でしたから、帝国としての実力を諸国が認めていたことがわかります。
以上は、筆者がとくに印象に残ったことです。読後感の一部として述べました。

歴史家の役割とは

学校教育では、日本史や世界史ともに暗記ものという情けない理解があります。何か事件があるとその関係者や発生年などを暗記しておく。これではつまりませんし、誰も興味を持てません。平川 新氏の著作は「なぜそうなったのか」「その背景にはどういうことがあったのか」など等について、史実に基づいて合理的に説明されています。こういうスタイルであれば、子どもから大人まで興味深く取り組めるのではないでしょうか。
学校を卒業した人たちについても歴史の授業では聞いたことも無いことが出てきたとしても、リクツにあった解釈があれば抵抗無く理解できるはずです。既成概念にとらわれず、独自の観点から解釈し説明する。あるいは謎とされたことを解明する。わが国の歴史家に期待することです。