津曲 公二
9月2日東京地裁で、いわゆる池袋プリウス暴走事故(2019年4月)の裁判で、被告に禁固5年(求刑 同7年)の実刑判決がありました。この事故については本エッセー第61回(2021.07.05)でもとり上げましたので、今回で2回目になります。
判決は被告の過失を認定しました。アクセルとブレーキを踏み間違えたという検察の主張どおりです。主な根拠は事故記録装置(EDR:Event Data Recorder)の解析でブレーキを踏んだ形跡が全く無いということでした。
そもそもEDRの記録は当事者であるメーカーからの提出資料です。裁判の公平性を保つためには、その信頼性を検証することが欠かせないはずです。
本人はブレーキを踏んでいたと言うが、EDRにはその形跡は無い。被告と原告、両者の言い分が真っ向から対立しました。EDRに客観的な信頼性があれば、それに基づく判決にも納得できます。ところが、クルマに何らかの欠陥があるのではないかとする被告の立場からはEDRは公平な証拠になりえません。
ハイブリッド車自体がたかだか20年程度の歴史しかありませんし、ソフトウエアはつねにバグとの戦いという宿命があります。EDR自体が何らかのソフトウエアの欠陥により影響を受ける可能性、つまり、EDR誤作動の可能性は否定できません。これについてはメーカーであるトヨタは多くの情報をもっているはずです。
筆者のような情報弱者でも、ネット情報からプリウスEDRが誤作動した記事はすぐに見つかりました。誤作動について、メーカーであるトヨタは筆者よりも多くの情報をもっていると思いますが、ネットの記事をどう評価するのでしょうか。そこを追求するのは、裁判官や弁護士の役割のはずです。当事者であるメーカーではなく公平な立場の第三者に依頼することなどは、まったく争点にならなかったようです。裁判そのものに、時代の変化に対応できなくなった前近代性を感じます。
訴訟大国である米国においては、EDR単独では恐らく有力な証拠として通用しないでしょう。検察側証拠としての客観的な信頼性を証明しない限り、採用できないと思われます。
先に述べたように筆者ですら、ネットでプリウスEDRが誤作動した記事をかんたんに見つけることができました。メーカーであるトヨタはこのような誤作動について、少なくとも筆者が見つけたネット情報よりも多岐にわたる詳細な情報を把握しているでしょう。トヨタとしては、動かぬ証拠が流出しない限り沈黙を続けるということでしょうか。
同様な事故は過去にも起こっています。福岡プリウスタクシー暴走事故(2016年12月)では、10人死傷(死亡3人 重軽傷7人)、運転手(66歳)は「ブレーキを踏んだがクルマが止まらなかった」と証言。判決は有罪(実刑判決 禁固5年6ヶ月 求刑 同7年)。
事故の経緯、被害の状況、判決の内容などすべてにわたってこの二つの事故はほぼ同じと言えます。しかし、池袋の事故だけは裁判前から世論が沸騰しました。いわゆる炎上の状態でした。その理由として考えられることは二つありました。ひとつは死亡者のお二人が母とおさなごであったこと、もうひとつはいわゆる「上級国民」という悪意あるレッテル貼りでした。
これにより、ひとりの市民は裁判を受けること無く瞬く間に許されざる極悪人となってしまいました。
真実が明かされる前から、厳罰を要求する言説があふれました。真実が不明であるにも関わらず世論を誘導する無責任な風評が巨大な圧力をつくりあげました。筆者がここに書いているようなことは、マスコミはすべて無視し異論が報道されることは決してありませんでした。
先の戦争が始まったとき(1941年12月 真珠湾攻撃)、このときも戦争にのめりこんでいった勢力があり、その方向に世論を誘導する圧力がありました。国民が望まない戦争にひきずりこまれたとき、今回と同様にマスコミによる誘導された無責任な世論という大きな力が働きました。一部の軍人たちの力だけでは、決して戦争に踏み出すことはできなかったでしょう。
このような炎上がかんたんに巨大な同調圧力を生み出す社会は、悪意をもつ勢力にやすやすと世論を誘導されてしまうでしょう。事故から判決に至る今回の現象は、わが国社会の未成熟な側面、つまり怖すぎる欠陥を赤裸々に表すことになりました。