• クリティカルチェーン TOCによるプロジェクト・マネジメント
日本艦隊(イメージ ウイキペディアから)
日本艦隊(イメージ ウイキペディアから)

歴史小説「坂の上の雲」(司馬遼太郎)については、前回「出口戦略を成功させた戦い」で紹介した。筆者は二冊の著書で、小説中のエピソードから現代のマネジメントに役立つポイントを抽出した。今回は、日露戦争における黄海海戦での信賞必罰のマネジメントを紹介する。

まず、背景を説明する。今回とり上げる黄海海戦(1904年8月)の翌年に、すべての海戦に終止符をうった対馬沖における日本海海戦(1905年5月)がある。これはバルト海から航海してきたロシアの主力艦隊と日本海軍との歴史に残る海戦であった。ロシア艦隊の陣容はほぼ互角ではあったが、航海33,000kmを経た不慣れな海域での戦いはかなり歩が悪い。そこでロシアは次のように考えた。旅順港にあったロシアの極東艦隊は、宣戦布告後ずっと日本艦隊との決戦を避け、旅順港に退避を続ける。欧州から遠征してくる主力艦隊の到着を待ち合流して圧倒的に優位な戦力になってから決戦するという戦略であった。二つの艦隊の合流が実現すれば日本艦隊の勝ち目はきわめて薄くなる。そこで日本艦隊としてはロシアの極東艦隊が主力艦隊と合流しないうちに撃破する必要があった。そのための海戦が黄海海戦であった。結果として日本艦隊は海戦に持ち込むことはできたものの、撃破という作戦目的を満足することができず、この海戦は大失敗であった。

ここで、日本艦隊の主な関係者は次のとおりである。

艦隊司令長官:東郷平八郎
参謀長:島村速雄
参謀:秋山真之
現場の実行部隊:駆逐隊などの艦艇の司令や艦長

本稿の題名「全員交代」とは罰を与える意味での人事異動のことである。
作戦失敗の原因としては、勝機はあったのに活かせなかった現場の緩みであった。このままではロシア主力艦隊との決戦での勝利はとてもおぼつかない、これが当時の参謀秋山の認識であった。
そこで秋山は、上司である参謀長島村に「全員を交代させる」処罰案を進言した。対象は、駆逐隊などすべての艦艇の司令や艦長である。島村は同意し、司令長官東郷に提言した。東郷は「戦いの最中に顔ぶれを変えてしまうというのはどうだろう」と難色を示した。司令長官の最大の仕事は人心の統御である。彼としてはこの際、乱暴な人事をしたくなかったが、島村は「信賞必罰ということです。人心の刷新にもなります」と駆逐隊の指令や艦長を一斉に交代させてしまった。これは東郷の本意ではなかったが、賛成して実行した。島村は「人心刷新ということで、私も替えていただきます。これは絶対に必要なことです」と言い出した。東郷は驚いたが、島村は譲らない。島村にすれば部下に懲罰の人事を断行した以上、参謀長たる自分だけがそのまま残っているわけにはいかない。「自分も退けば司令部の責任問題もおのずと明快になる」と言い続け、結局、この通りになった。そして、島村は参謀長の立場で自分にも厳しくすることが「艦隊の気分を暗くせずにすみます」と付け加えている。

最近のことであるが、検察庁の要職にある人物の不祥事が発覚した。当人の上位に検事総長、さらには法務大臣がいる。法務大臣は直ちに自らの辞任を申し出たが、首相に慰留されて留任した。また、当人の処分も免職などではなくごく軽いものだった。しかも、この処分を決めたのが誰なのか、検事総長、法務大臣または首相、いずれなのか明らかにならない。このこともさらに人心を失い、司法への信頼を大きく損ねることになった。

紹介した黄海海戦における全員交代の懲罰人事に当てはめて考えてみると・・。

法務大臣は官僚とは異なり選挙で国民から選ばれた人である。検事総長などとは立場が異なる。法務大臣は、職責から当人とその上司である検事総長をも厳しく処分し、同時に自らも引責辞任する。これこそが、失った人心と司法への信頼回復のために法務大臣がとるべき道であったろう。
要職にある人は、誰であっても権限とともに責任がある。みずから責任を負うことが事態の収拾や人心の刷新につながる。信賞必罰をどうマネジメントに活かすか、いつの時代にもどのような組織にも共通する課題ではないだろうか。

2020.6.01 津曲公二