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津曲 公二

都城島津邸の風景 都城市 宮崎県
都城島津邸の風景 都城市 宮崎県

西南戦争に従軍した曽祖父

征韓論に敗れて下野した西郷隆盛は、出身地の薩摩で私学校を設立し若者の教育に専念していました。明治10年(1877年)、西郷は不平士族に担がれ士族による最後の内乱に従うことになりました。西郷軍には薩摩の士族だけでなく、西郷を慕う人たちが全国から集まったそうです。筆者の父は飫肥(おび;現在の宮崎県日南市)の出身でした。父から聞いたところでは曽祖父は飫肥藩の有志部隊のひとりとして西郷軍に従軍しました。
しかし、そのころは熊本城の攻防戦に敗れ撤退戦になっていました。政府軍は近代装備のもと兵力が次第に増強されていきました。そのような状況で飫肥藩の有志部隊は分断され10数名になってしまいました。気がつくと、戦場の一角に取り残されていました。圧倒的に優勢な政府軍に包囲されたのです。もはやこれまでか、というとき異変が起りました。戦場にひとりの女性が現われたのです。

そのとき現われた妙齢の女性

「ここを脱出できる間道に行きなさい」と抜け道へ導いてくれました。無我夢中で走って全員が包囲網を抜け出ることができました。しばらくして政府軍兵士は見えなくなっていました。ふと気がつくと女性の姿は消えていました。あれはどういうことだったのだろうと皆が不思議がりましたが、誰ひとりとして説明することはできませんでした。
戦争が終わり、皆に日常生活が戻ってきました。彼らは自らの不思議な体験を語りました。すると、それを聞いた長老のひとりが言いました。「榎原(よわら)の神さまが出てきて助けてくださったのだ」、そういえば戦場は確かに榎原神社からさほど離れていないようだったと思い出しました。

女神を祀る榎原神社

時代は変り、西南戦争からは一世紀以上の時間が経ちました。筆者は夏休みに妻と二人で日南海岸に沿ったルートを旅行しました。少し寄り道をして榎原神社に参拝しました。土地の古老に聞くところでは、榎原神社の女神さまはやきもち焼きなので、二人そろっての参拝は実はうれしくないのだそうです。ところが、現在ではこの神社は縁結びのパワースポットとして話題になっています。女神さまも時代の変化に苦笑されていることでしょう。ここで筆者は不思議な話を語ってくれた、今はもう他界した父の真剣なそして楽しそうな姿が蘇る感じがしました。

旧勢力の抵抗を終息させた西南戦争

明治の時代は幕末の戊辰戦争から始まったいくつかの内戦を経て社会が新時代へと移行しました。士農工商の身分制度が四民平等の社会になり、士族が最も大きな変化を迫られました。西南戦争は、大変革に遭遇した士族による最後の武力抵抗でした。士族という旧勢力は多くの血を流すことでやっと抵抗を終息させました。このやり方ではもう無理だと観念してようやく方向転換ができました。

迎えた大変革の時代

現代のわが国は文明社会です。大変革に際して多くの犠牲を払ったり血を流すようなことがあってはなりません。また、必要な変革に対して旧勢力が抵抗して変革を妨げるようでは社会の衰退を招くだけです。石炭産業は石油へのエネルギー転換で消え去りましたが、この転換によって日本経済は大発展しました。繊維、鉄鋼、造船などすべての産業界はそれぞれに様ざまな栄枯盛衰を経験しました。
とりわけ自動車産業は長期間にわたりわが国の稼ぎ頭として日本社会を支える大黒柱であり続けました。その自動車産業も電気自動車の出現によって大変革の時代を迎えています。このような時代の潮流を誰も止めることはできないでしょう。

大変革に際して、いかに犠牲を緩和し新時代に適合していけるのでしょうか。わが国の英知と勇気が試されるときがきています。