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津曲 公二

サンティアゴ巡礼路で見かけた風景(ナバーラ付近の牧場 スペイン)
サンティアゴ巡礼路で見かけた風景
(ナバーラ付近の牧場 スペイン)

経済学のマザー・テレサは

ハーバード大学のアマルティア・セン教授は、ノーベル経済学賞をアジア人として初めて受賞し「経済学のマザー・テレサ」、「経済学の良心」と紹介されるそうです。知人から教えてもらった彼の言葉に驚きました。

仏陀は、信仰の優先順位を三つ目に置いています。人間にとって大切なのは、
一に知識、二に良い行い、三に信仰です。
知識の獲得は信仰よりも大切だ、という考え方です。

以上、「ハーバード日本史教室」(佐藤智恵・著)からの引用です。

郷里の実家は浄土真宗の檀家でしたが、このような仏陀の言葉は今まで全く聞いたことがありませんでした。セン教授はインド出身だそうですが、さすがに大学者は言うことが違うと感激しました。誰であれ「良く学び」「良い行い」を優先すれば「信仰」は必ずしも必要では無い、ということになります。筆者としては納得の言葉です。

仏教国に対してキリスト教国では

わが国の年末年始はクリスマス、大晦日の除夜の鐘、初詣ではキリスト教、仏教、神道などからのイベントですし、キリスト教徒でなくても結婚式を教会で行うことに何の抵抗もありません。とはいえ、基本は聖徳太子時代からの仏教が大方の日本人の考え方や行動のもとになっていると考えられます。キリスト教国では、この優先順位はどうなっているだろうかと考えました。教授は、キリスト教では一に信仰で、信仰が何よりも優先されると述べています。
さいわいにも筆者には、このことについてぴったりの知人がいます。さっそくたずねてみました。マドリッド在住30年以上の日本人(たぶん仏教徒)で日本人向けの観光ガイド業に携わっている人物(Aさん)です。Aさんには、スペインのサンティアゴ巡礼路の一部をガイドとして同行してもらったことがありました。妻と二人で現地の文化を味わう旅になりました。Aさんには仕事がらキリスト教とその文化や歴史について豊富な知識と適切な見識があります。

Aさんに聞きました

まずは、信仰の優先順位についてです。聖書の記述に該当するところがあったか思い出せない。ただ、ちょくちょく出てくるのが、信者ではない人とイエスが接する時に、良い行いをしている人に対してはそれを評価、賞賛し、悪い行いをしている人に対しては厳しく叱咤する、といった記述がある。そして、良い行いをしている人であるのに、イエスについて来ないということを理由にその人を批判する、といった記述はあまり記憶にない。とりあえず、信仰第一という強要感はあまり無いかもしれませんね、との感想でした。

日本の信者さんグループの巡礼を案内しての体験

Aさんは日本からのサンティアゴ巡礼のガイドも務めますが、司祭同行のカトリック信者グループにも数多くの経験があるそうです。案内中にこれまでに何度か、信者になるよう洗礼を勧める人(信者)があったそうです。興味深いことは、勧めるのは一般の信者のみであって、司祭の中にはそういう方は一人もなかった。司祭としては、Aさんが洗礼を受けていなくても、Aさん自身が巡礼をする、巡礼のお手伝いをする、歩けない方の車いすを押すなどなど、そういった日頃の行いがゆがんだものでなければそれで良い(あえて洗礼を勧める必要は無い)ということだったのではないか、とのことでした。筆者が感じるのは、信者と司祭の優先度の差です。
司祭の場合、良い行いが信仰よりも優先している。良い行いの人にはあえて信仰を求めない。筆者としては、納得できる司祭の判断と行動です。

コロナ禍で欧米でのマスク拒否が未だに報道されています。マスクの必要性を学ぼうとせず、必要性を説く人の言うことを聞こうともしないのは、学ぶこと(知識)や良い行いが、明らかに欠けています。仏陀の言う優先順位の一と二が全く欠けていては、何ごとも始まらない。そのように感じます。わが国の社会には、人生の優先順位が仏陀の説くとおりに(完璧では無いにせよ)ほぼ存在しています。このことを考えれば、我われは悲観的にならずに将来にもっと自信をもってよいのではないでしょうか。