• クリティカルチェーン TOCによるプロジェクト・マネジメント

津曲 公二

奇岩の景勝地 モンセラ(バルセロナ スペイン)
奇岩の景勝地 モンセラ
(バルセロナ スペイン)

横浜の工場から銀座の本社へ転勤

筆者は自動車メーカーに入社し、10年ほど横浜市にある鋳造工場勤務後、銀座の本社に転勤になりました。総勢50人ほどの部署で、筆者の席はちょうどA部長のすぐそばになりました。部長は独特の声でしたから、彼の発言は電話も含めよく聞こえる位置にいました。

部長という立場でしたが、相手が誰であれ分け隔てなく率直な対話が今でも印象に残っています。筆者は席が近いこともありさまざまなことを依頼されました。回答の約束日程はきちんと確保してあり、報告のときには熱心に聞き鋭い質問があって回答に立ち往生することもありました。しかし、部長からの依頼は難易度にかかわらず喜んで対応していました。

部長のこの姿勢は部下である筆者だけでなく、彼の上司である役員にも好感をもって受け入れられていたようです。直接の上司ではなく、他部門の担当役員からも部長にさまざまな依頼があり、それを筆者が担当することもありました。

本社の部長はさすがと感動しました

当時、会社と労働組合の関係が悪化している時期でした。組立工場でちょっとした怪我や事故があると、それを理由に労使協議があり抜本的対策を完了しない限り生産に協力できない、などと通告されていました。自動車メーカーでこのような労使関係の悪化は、他社ではありえないことでした。本社として全ての工場に依頼したい施策があり、筆者たちも工場の担当者たちと協議していましたが、労使関係の悪化で計画は棚上げになっていました。

この状況で、部長は工場の中でも最大規模の工場のトップに直接電話で折衝しました。最大規模の工場トップ(工場長)は役員(取締役)です。取締役会のメンバーですから、部長よりも格上です。席が近いので、部長の主張はよくわかりました。先方はなかなか納得しない雰囲気でした。長い会話の後で部長は「私が責任をとるからやってください」と発言、しばらくして電話は終わりました。その後「工場長はやると約束した。君たちは計画通り進めるように」との指示がありました。工場に10年ほど勤務しましたが、「私が責任をとる」との発言は聞いたことがなくびっくりしました。本社の部長だとレベルが違う、さすがと感動しました。

筆者は、その後本社の財務部門を経て開発部門に異動しました。「私が責任をとる」との発言を筆者が聞くことはありませんでした。あの部長だけだったのです。部長は、商品開発本部などを担当され最終的に社長に就任されました。

コロナと同居する戦時に欠かせない大事なこと

わが国は社会に階層が無い素晴らしい国です。コロナ禍をきっかけに社会的な差別などが一気に噴出し暴動が起こることなどはありません。しかし、コロナ禍が大きな社会的経済的変動を引き起こすことは避けられないでしょう。このとき、社会に階層が無いことがマイナスになる恐れがあります。いつもなら、異論・反論が多数出て討議が紛糾し結論がまとまらないことがあってもさほどの影響は無いのでしょうが、戦時にはそうはいきません。タイミングを外した意思決定では何にもなりません。戦時には「私が責任をとるから、これをやってくれ」というトップの果断な意思決定が欠かせません。