津曲 公二
仕事ではさまざまなミーティングに参加していましたが、コロナ禍をきっかけに全てオンライン化されました。これほど便利なものは無いのでコロナ禍終息の現在でも継続していました。これはプライベートでも同様で、親しい友人Aさんとは毎週1回、Bさんとは2週ごとに1回、その他の遠隔地の友人たちとはコロナ禍以前から不定期で、それぞれオンラインで会話を楽しんでいました。しかし、最近になってオンラインではなく従来のリアルな集まりが復活しています。
4月下旬に開催された中学校の同窓会は2月初めに案内が届きました。まず、高額な会費に驚きました。会場は日比谷公園にある老舗レストランですが、横浜にある高級ホテルのフレンチレストランでもこの会費よりも安価なコースもあると思いました。さっそく、幹事に「高額過ぎる」と電話しました。同窓会は旧交を温めることが目的のはずです。豪華なあるいは高価な食事は全く不要です。極論すれば、茶菓だけでもよいと筆者の考えを伝えました。幹事役はいつも男女ひとりずつ合計2名が担当することになっています。二人の幹事ともこの高額が気にならなかったのが不思議でした。ともかく筆者の要望は受け入れられ、当日は案内状記載の価格よりも3割低く変更されていました。コース料理のグレードを変更した結果でしたが、それでも十分過ぎるほどでした。幹事としての会費相場観に欠けると感じました。
筆者は同窓会の当日は体調がすぐれず、自宅を出るのが遅れて30分ほど遅刻してしまいました。もちろん、幹事にはその旨を途中駅の地下鉄ホームから電話連絡しました。コース料理が進行中のところで着席しました。出席者はそれぞれ料理と会話を楽しんでいました。着席して5分ほどして幹事から「開会の挨拶」をするよう指名されました。2時間の時間枠で30分以上過ぎています。時刻として今さら「開会の挨拶」は不要です。それといきなりの指名が気に入りません。筆者は研修講師を職業としていますので、紋切り型の挨拶もフランクな挨拶も、別に苦になりません。しかし、開会挨拶なら事前に指名する当人の了承を得るべきだし遅刻した参加者をわざわざ指名することも無いだろうと、むっとしました。とはいえ、紋切り型の挨拶として「同窓生がこういう場に集まって食事を楽しめるのは、幸せな証拠」とかんたんに挨拶しました。
もと勤務していた自動車会社でも同窓会があります。工場勤務時と本社勤務時、それぞれのグループのうちのひとつに参加しました。当日は5名の参加でしたが、あるメンバーがいつも会話(聞くほうではなくしゃべるほう)を独占するのです。久しぶりの再会で各自の近況を聞きたいところですが、その時間をつくらずにマイペースで自分のことばかりしゃべるのです。今回は、筆者が他のメンバーのひとりに「○○さん、近況はいかがですか」と誘い水を出しました。それでも○○さんの話が終わったらすぐに自分でしゃべり続けるのです。基本的に「オレはこうやった」という自慢話なのですね。まあ、その薀蓄を高く評価するメンバーもいるので、ますます会話独占が加速するのです。筆者の考えですが、会話を独占しても許されそうなのは次の二つの場合だけでしょう。
まずひとつはその場の支払いを100%負担すること(この場合デラックスな場の確保は当然の条件ですね!)。もうひとつは、当人の話が他の全員にとって圧倒的に面白くて興味深いことです。この二つのいずれにも当てはまらないおしゃべり独占は無作法以外の何ものでもありません。会話はその場にいる人たちの相互のキャッチボールで好ましい雰囲気が醸成されるものです。しゃべりだけを独占したがる人はこのようなことを一切無視する無作法な人です。筆者としておつき合いしたい人物リストには入りません。次回からこの同窓会には参加しないことに決めました。
これまで開催できなかった恒例の同窓会でさっそく開催されたのは、2月の高校同窓会の集まりでした。長く幹事を務めてくれた同窓生C君が昨年急逝したので、今回は彼を偲ぶ会になりました。C君の人柄を慕って同学年だけではなく後輩も多数参加してくれました。参加者の挨拶も彼との思い出が数多く語られました。全くお付き合いの無かった参加者も含め往時を偲ぶことができ、それぞれの思いをもちながら高校時代を振り返ることができました。筆者自身の想い出は、彼が海上自衛隊の艦船建造技術者だったことに関係がありました。あるとき、広島に旅行することをメールでやり取りしました。呉市にある大和ミュージアムを見学したいと伝えたら「すぐそばにある、てつのくじら館も観るべき」とのアドバイスをもらいました(これは本エッセー第83回のトップ画像として紹介しました)。いずれにせよ、この同窓会は故人を偲び高校時代を懐かしむ貴重な時間になりました。コロナ禍後に参加した三種の同窓会で最も楽しい時間を過ごすことができました。