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津曲 公二

母なる祖国像(ヴォルゴグラード ロシア)攻防戦を記念してママエフの丘に建てられた巨像

母なる祖国像(ヴォルゴグラード ロシア)
攻防戦を記念してママエフの丘に建てられた巨像

ヴォルゴグラードでセミナー講師を務める

2015年から5回にわたり、ロシアに出張しました。モスクワにある日本センターはわが国外務省が支援する現地NPO法人ですが、ここから招請されました。目的はロシア企業の経営者層に向けてわが国の優れた経営マネジメントを伝えることでした。毎回2週間ほど滞在し、3~4つの都市を訪問しました。2016年10月、ヴォルゴグラードを訪問しました。当市の商工会議所が事務局になり、現地にあるIT企業を会場にして二日間セミナーを開催しました。

ここは1961年まではスターリングラードと呼ばれていましたが、その後、市名が変更されました。旧政権の独裁者スターリンの名前から受ける悪い印象を払拭したかったのでしょう。同様な経緯でサンクトペテルブルグも旧市名であるレニングラードから改称されています。別の都市でのことですが、移動中のクルマ車内から公園にあったレーニンの銅像を同行のロシア人通訳A氏が見つけました。そして「ここの街は遅れているな」とつぶやきました。今ごろになってもこのような銅像を撤去しないのは時代遅れということだったようです。この通訳A氏にプーチンのウクライナ侵攻の意見を求めることができたら、間違いなく同様な回答になるだろうと思いました。

戦争記念館を訪問

セミナー終了後は、その都市にある企業訪問や名所旧跡を訪れていました。ここには、第2次世界大戦の独ソ戦において、スターリングラード攻防戦(1942年6月~1943年2月)について展示する戦争記念館がありました。出かけた当日は休日でしたが、観光客だけでなく家族連れの市民も多く見かけました。ここを案内してくれたのは記念館専属の説明員でしたが、ロシア人通訳B氏によると小学生の課外授業としての見学もあるとのことでした。印象に残ったもののひとつには、広島市から寄贈された「平和の鐘」でした。聞けば、同市と広島市は姉妹都市の関係にあり(1972年提携)、提携の理由は双方ともに戦争の惨禍が激甚だったからだそうです。提携を記念してヴォルゴグラード市には「ヒロシマ通り」と名づけられた道路もありました。

映画「スターリングラード」を見ました

2001年公開の米、英、独そしてアイルランド合作の戦争映画です。ソ連軍の狙撃兵として英雄となった実在の人物を主人公とする映画です(原題:Enermy at the Gates )。現実の攻防戦はドイツとソ連の激しく長期にわたり大きな被害を出したものですが、この映画は主人公であるソ連の狙撃兵と攻めてきたドイツの狙撃兵の一騎打ちという展開になっています。一騎打ちですから、よくある戦争映画とは異なり割合に地味な流れが続きます。とはいえ、いくつかの波乱や出来事を織り込みながら淡々と物語りは進行していきます。最後まで飽きることなく観ることができました。

筆者が感じたこの映画の監督の思いは、いかなる理由であれ戦争は悲惨なものであり決して起してはならないということでした。さらに筆者自身が感じたことは、いきなり一方的に攻め込まれると、守備側にその備えが無かったらひどい目に合うことになる。怪しい相手に油断は禁物ということでした。

ウクライナ侵攻の結末は

スターリングラード攻防戦は、ナチスドイツが一方的にポーランドに侵攻したことで始まった戦いでした。当時、独ソ間では相互に不可侵条約が結ばれていましたが、ヒットラーはこれを一方的に破って開戦し、スターリングラードに攻め込みました。攻め込まれたソ連としては祖国防衛戦争だったわけです。従って、真っ当な大義名分がありました。昨年2月のロシアによる一方的なウクライナ侵攻は大義名分はプーチンという独裁者にはあったとしても、そこ以外にはどこにもありません。80年前のヒットラーと同じように誤った道に踏み込んだプーチンを待ち受けているのは、やはり同じような運命にならざるをえないでしょう。