津曲 公二
筆者が中学と高校で受けた歴史の授業は日本史と世界史の二科目に別れていました。それぞれの教師も別人で、それが当たり前の常識でした。最近の教育では、そういう区別を無くした「歴史総合」として本年度から高校の歴史教育が大きく変わることになったそうです。確かに、日本史と世界史を別々に学ぶと全体的な、つまり世界的視野での理解ができないという不都合があります。
良い例が長崎出島のオランダ商館です。なぜ、オランダだけが残ったのかという疑問がわきます。種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人でした(1543年)。その後、スペインから来たザビエルがキリスト教(カトリック:旧教)を伝えます(1549年)。遅れてやってきたオランダやイギリスは新教のプロテスタントでしたが、結局、幕末まで日本に残ったのはオランダだけでした。このあたりについては、大航海時代の欧州事情の理解がないと受験勉強でやった「歴史は暗記」という情けない結論になりかねません。筆者は知人の紹介で「地球日本史」という素晴らしい歴史書に巡り合いました。これは産経新聞の人気連載記事を出版したものだそうです。文庫本もあり、筆者は初めの1冊を読み終えたところです。本エッセーでは筆者が印象に残ったところを紹介します。
* 「地球日本史1」西尾幹二(責任編集) 発行 2000年12月 産経新聞ニュースサービス
そもそも「地球日本史」という書名が、地球規模の観点から日本史を解明するという明快な意図が読み取れます。筆者が中学と高校で受けた歴史の授業でそういう観点から役立つものは「歴史年表」だけだったと思います。世界史の歴史年表には同じ年代の日本での史実も併記してありました。しかし、両者を結びつけた授業を受けた記憶がありません。本書の副題にある「日本とヨーロッパの同時勃興」などという概念は全く思いつくことができませんでした。
本書に「フィリップ二世と秀吉」という一章があります。二人はそれぞれ地球の反対側のスペインと日本にいて、お互いに会ったことはなくても強敵とみなしていたと書かれています。また、秀吉について「西欧にNOと言った世界で唯一の男」と一章を割いて記述されています。秀吉の朝鮮出兵について、従来は老害、つまり老化による誤った政策だったとする説が普及していましたが、これについても西欧の野望を阻止するためと明解な背景が説明されます。つまり、世界史の動き、例えばスペインとポルトガルによる「地球分割計画(デマルカシオン)」は宣教師を尖兵とした侵略戦争でした。これについてわが国では秀吉や家康が明確に認識し拒絶したわけです。この背景にはわが国の強大な軍事力がありました。オランダはスペインから80年戦争(1568年~1648年)を経て独立しますが、日本と付き合うためには宗教(キリスト教)抜きが必須とわかって経済交流のみに徹します。これらの説明で幕末までオランダ商館のみが存続できたことが素直に理解できます。
本エッセー第100回で「八百万の神々はわが国多様性の象徴~世界に珍しい他者の意見や存在を認める日本の文化」を掲載しました。そこで「いざなぎといざなみによる国生み」について次のように筆者の感想を述べました。
いざなぎといざなみによる国生み 国づくりの神話として国生みでは、いざなぎといざなみ、二柱の神さまたちがわが国をつくられました。さきほどの天岩戸で登場する天照大神はこのお二人の第一子である女神さまです。子どもが誕生するために女性と男性が存在し、しかもその第一子は女性です。神話はそのときわが国に住んでいた人たちが考えたことが色濃く反映していると思われます。 つまり、男女平等や女性の社会的な地位がきちんと認識されていたことになります。世界的に最も普及しているキリスト教などと比べると、筆者はその先進的な考え方に驚きと感銘を受けます。
キリスト教では、世界をつくる唯ひとりの造物主がいて、アダムは土くれからイブはアダムのあばら骨からつくられたと聞きました。わが国の場合、神さまは多数存在します。それぞれに役割が異なるので八百万で足りるのかなと思ったりしますが、神話の世界のことです。誰もそれ以上のことを問いただすことはありません。しかし、キリスト教の場合、創造主は唯ひとりです。この点について、渡来した宣教師たちの説明にわが国の関係者たちは全く納得しなかったようです。
ザビエルをはじめとしてカトリックの宣教師たちは、日本人の大部分が文字の読み書きができることに驚いたそうです。ポルトガルやスペインの宣教師たちにとって自国民の教育水準をはるかに上回るものだったようです。そして、彼らがもたらす情報の中でもっとも日本人を惹きつけたのは、天文学など自然科学の知識だったそうです。つまり、論理的で科学的な知識に日本人は魅了されたそうです。ところが、宣教師たちの最大の目的であるキリスト教の大前提である造物主の存在には全く理解を示さなかった、これには宣教師たちも困惑したそうです。
江戸時代中期に日本に潜入したイエズス会宣教師イタリア人シドチと、当時の政治家・朱子学者の新井白石(1657~1725年)との対話がじつに興味深く感じました。白石は、彼との対面の当初から、天文・地理などの広範な知識・見識を高く評価し並々ならぬ人物であると認めます。ところがシドチがキリスト教の教義について話すと、浅はかで古い考えに固執することにはあきれるばかりで到底同じ人物とは思えなかったそうです。合理主義者白石はこう反論します。天地万物には必ず造物主が存在するのだと言う。そうであれば、造物主にもそれをつくり出した作者がいたはず。その作者が自動的に生成するのだから、天地万物も自動的に生成できることに何の不思議も無い。つまり、唯一の造物主の存在の説明には無理がある、自然現象に過ぎないとの反論です。本書では、現代に至ってもキリスト教的世界の説明に対して我われ日本人は新井白石と同じ論理で応じるしかないと結んでいます。