• クリティカルチェーン TOCによるプロジェクト・マネジメント

津曲 公二

古都トレド(トレド カスティージャ・ラ・マンチャ州 スペイン)
古都トレド
(トレド カスティージャ・ラ・マンチャ州 スペイン)

一攫千金の末路

宝くじ高額当選者のその後のことは「末路」として話題になります。ごく普通の生活者が年収の10倍、100倍の収入があったら誰でも全く経験したことが無い事態です。人生がガラリと狂うことは容易に想像できます。現役のサラリーマン時代のころ、同僚たちと「人生を狂わせない一攫千金の限度額はいくらか」について論議になりました。その場にいた同僚たちは仕事がいやで機会があればサラリーマン生活を辞めたいという人はひとりもいなかったように記憶しています。ですから、当時の宝くじ高額当選1億円程度で会社勤めを辞めるという意見は全くありませんでした。ただ、仮にひとケタ増えて10億円だとどうなるか、全員が「人生が狂うだろう」ということで一致しました。一攫千金は、やはり最終的には末路という望ましくない結果になるのは想像も現実も同じのようです。

プロスポーツ選手の引退後によくあるパターン

プロ野球日本ハム新庄監督の新人時代の契約金にまつわる話を聞いたことがあります。契約金4000万円でいきなりスポーツカーを買った。あとで、税金(所得税)を納める必要があることなど全く知らなかったとのことでした。

これに類する無知のなせる事例について、現在でもプロスポーツ選手の場合はよくあることとしてテレビで放映されていました。プロを引退した後もおカネにまつわるリスクは続くようです。プロスポーツを引退して次に何か職業が必要になります。これまで所属した世界とは全く別の職業を選択する場合、リスクは様ざまにあります。例えば飲食業です。まるきり知識ゼロで開業すると、開店までの段階で詐欺にあったりします。開店にこぎつけ営業開始しても黒字化するまで時間がかかります。要するに、これまでの職業(プロスポーツ)で身につけた知識経験とは全く異なるものが必要ですが、それ無くしてはうまく行くはずがありません。

おカネの使い方のしつけ

子どもがある程度の年齢になったら、おカネの使い方についてのしつけが必要です。筆者の場合、思い出すと次のように段階を踏んでひとり前になったように思います。

  • 一日当り一定額をもらえる・・小学校入学前後ごろは、決まった金額を一日で使っていました。使う場所はいつもの駄菓子屋でした。
  • お小遣い帖をわたされる・・小学校3年生くらいからだったと思います。ある程度まとまった金額を必要なときに筆者が母に請求し、収入と支出を記帳していました。駄菓子屋のほかに月刊誌、ちょっとしたオモチャなどを購入していました。

中学校に入学したら、放課後のクラブ活動(理科クラブ)が楽しくなりました。お小遣いの使い道もこの方面が中心になりました。実家のある田舎町にはクラブで必要となる部品を販売するお店はありませんでした。鹿児島市の電器屋に現金書留で注文していました。

高校時代からは寮や下宿の生活

中学時代までにおカネの使い方のしつけはほぼ身に着きました。母もそれがわかっていたので、高校から寮や下宿での生活になることに全く不安は無かったようでした。そう言えば小学生のころから洗濯についても「自分の下着は自分で洗濯するように」と言われました。「どこで暮らすようになっても洗濯などで苦労しないように」との説明がついていました。母は女学校時代から寄宿舎生活をしていたので、その経験からのしつけだったと思われます。おカネの使い方は社会人としての金銭感覚の基本になるものです。おカネと同様に大事なものとして、時間の使い方があります。

時間の使い方もたいせつ

お付き合いしている企業では、テレワーク移行と同時期に「会議の進め方」の基本が社長から全社員に告知されました。筆者として最も印象に残ったことは「会議の目的を明確にする」「目的以外のことは討議しない」、この二つでした。これを忠実に実践することで、会議時間は劇的に短縮されました。

個人の生活は組織とは異なりますが、メリハリをつけて限りある資源のひとつである時間を浪費しない習慣は必要と思います。そのための子どもに対するしつけは重要な意味があります。
筆者の場合は時代の差異がありますが、外に遊びに出てからの帰宅時間は守っていたように思います。学校やお寺などの公共機関のチャイムなどもアナウンスしていました。現代の子どもたちはお稽古ごとや学習塾などで、時間がしっかり管理されているのは筆者の時代とは隔世の感があります。あまり時間を守ることに神経を使うことは、筆者の時代とは異なり逆効果のような気もします。

時間感覚をもつ必要性が高いのは子どもではなく、職業人であるおとなのほうでしょう。筆者の住む団地内でもおしゃべりして通路をふさいでいても気にしないおとなたちはいます。バスや電車の車内で声高に世間話をする人もいます。これらは社会生活のマナーに分類されますが、他人の快適な時間の質を落とすことになります。つまり他人の時間を消費することにつながります。大きくは時間感覚が全く合わない、ということになります。

テレワークの普及は神さまのレベル

何と言っても大進歩はZOOMなどのコミュニケーションツールが普及して相手の画像とともに会話ができるようになったことでしょう。移動の時間はお互いにゼロになりました。別に仕事でなくても、これは助かります。自由な会話やおしゃべりがどこにも出かけることなく実現しています。こんなに便利なことはありません。「テレワーク疲れ」なども指摘されていますが、実際にリアルな対面で会議をやるとなればテレワークとは比較にならないほどの時間消費があります。テレワークのように時間が少なくてすみ、かつ距離の差(空間の差)を解消するやり方は従来であれば、まさに神さましかできなかったレベルです。それを苦も無く受け入れている現代社会ですが、これからもこのようなレベルのことが次々に出現するのでしょう。