• クリティカルチェーン TOCによるプロジェクト・マネジメント

津曲 公二

南九州の地図 志布志市ホームページから
南九州の地図 志布志市ホームページから

湧水 故郷の想い出

松本市のことを本連載エッセー「第124回信州に見つけた私の田園都市」で取り上げました。ここで、筆者の出身地のことも紹介しました。鹿児島の大隅半島、宮崎県と隣接する志布志(しぶし)市でした(当時は志布志町)。人工2万弱の田舎町で育った筆者にも湧水の想い出があります。実家から徒歩15分ほどのところに住んでいた母方の祖母は新茶が手に入ると良い水を求めて近くの湧水に出かけました。今回はそのお茶のお供になるお菓子のことです。まずは、都心のたい焼きのお店についてです。

意外に多いたい焼きのお店

コロナ禍以前は仕事での行動範囲はほぼ都心でした。テレワークが増えて出かけることはめっきり少なくなりましたが、四谷や神田などにはたい焼きのお店は意外に多いように感じます。筆者はたい焼きのお店を見つければ立ち止まります。お店はひとりか二人で運営されています。どのお店もそれなりの雰囲気がありますし、たい焼きそのものも微妙に味わいが変わります。これ以上のミニは無い極限のミニ企業です。いぜんのタバコ屋さんだと店番はひとりだけでしたが、ここは既に自販機に取って代わられました。たい焼きのお店はさすがに自動化されたところは見たことがありません。たい焼きのお店は素晴らしい日本文化のひとつと感じます。

子どもの行動範囲は限られるが・・

筆者の小学生時代、郷里での行動範囲として、まずは通学路が中心でした。小学校帰りの道草の定番のひとつは乾物屋でした。そこに黒砂糖が酒樽サイズで届いていました。小売りするためにはそれを大きなハンマーで、たぶん柄の長さが1メートル近くはあったでしょう、店主がそれを振り下ろして分解・粉砕します。細かい破片が飛び散り、黒砂糖の甘い香りが漂います。道草でそれを見学していた小学生たちにとって、迫力ある(しかも芳香つきの)イベントでした。通学路であっても、ごくたまにこのような記憶に残る体験ができました。

お菓子屋が多かった近所の街並み

徒歩10分以内に独自のお菓子を製造販売するお菓子屋が3軒もありました。まずは、いわゆる酒饅頭です。店主の名前(栄介?)からなのでしょう「えすけ饅頭」がありました。つくり立てだとガラスの蓋に水滴が一杯ついていました。次は、法事のときに使うお菓子が10種類以上あったと思いますが、そのお店。3軒目の商品は「かるかん」です。これは現在でも鹿児島の名産品として販売されています。その製造・販売のお店がすぐ近所にありました。かるかんは原料に山芋を使うので、他のお菓子よりも高級品の位置づけでした。

また、甘いお菓子ではありませんが、実家でおやつ扱いとしていたものに「つけ揚げ」がありました。これは、関東地方では「さつま揚げ」と呼ばれています。主として魚肉のすり身を揚げたものです。これも徒歩10分ほどにひいきのお店がありました。すぐ近くにも同業のお店はあったのですが、味その他が気に入らなかったのでしょう。わざわざひいきのお店へのお使いは筆者の役割でした。

夏は亜熱帯気候のびろう島へ

志布志湾のほぼ中心に枇榔島(びろう島)があります。志布志港の沖合い約4KM、島の周囲約4KMです。夏季は20人乗りくらいの船便が運航していました。筆者が小学生のころ、兄が釣り仲間と宿泊ツアーを企画しました。そのメンバーには兄が通っていた中学校の先生も含まれていました(釣り大好き先生だったようです)。総勢6~7名でしたが、釣りと言っても、夜の釣りなのです。筆者は企画者の弟なので別扱いでした。つまり、釣りはしなくてよい(もともとやったことがありませんでした)。翌朝、目が覚めると昨晩の大漁を知りました。その後、昼食には煮魚の手料理が出来上がりました。当時、島にはちょっとしたバンガローが何部屋かありましたが、蚊帳に穴が空いていたので、蚊の襲来には悩まされました。びろう島は、現在は国指定の文化財となっています。このようなツアーはタイムスリップでもしない限り、もう実施できないでしょう。

夏の氷あずきパーティ

夏場は、普通の食堂がかき氷を出前で配達してくれました。兄はこれを自分たちでやることを企画しました。氷は製氷所で調達でき、あずきは調理済みの粒あんを製造販売するお店がありました。つまり、材料は問題ありません。あとは道具類です。手動式のかき氷機、ガラス器やスプーンなど人数分を購入したとは思えません。どこからか、借用できるよう約束できたのでしょう。会場が必要ですが、当時の田舎の家屋は空いている部屋はいくらでもありました。参加メンバーの誰かの自宅でやったのだと思いますが、筆者の記憶にはありません。ほとんど何も手伝わなかったので、つまり苦労しなかったので覚えていないのですね・・。

冬の浜辺で焼き芋作戦

さつま芋は(鹿児島では、から芋と言います)、いくらでもあります。中学校の農作業実習では、から芋を栽培しました。収穫したら、生徒全員が数個を自宅に持ち帰りました。から芋は蒸かすよりも焼き芋のほうがうまい。これで兄の企画魂が燃え上がりました。この企画の秀逸なところは、材料である芋さえあればよいことでした。これはきわめてかんたんな条件でした。次に焼き芋のための燃料やかまども不要にする案を実行しました。広大な浜辺に行けば、打ち上げられて乾燥した木切れはいくらでも集められます。浜辺でたき火をしても周囲に住宅はありませんからから何の問題もありません。冬の浜辺の焼き芋作戦は晴天の午後、実行されました。まず砂地にから芋を埋めます。10~20CMほどの深さです。その上でたき火をします。30分ほど経ったら火を消して焼き芋を取り出します。作戦は大成功でした!

天性のものか

これらもすべて兄の企画でした。筆者は5人兄弟で姉と兄がそれぞれ二人いて全員健在です。本稿での兄とは5歳年上の次兄のことです。とにかく、兄は人を集めて企画するのが得意で、しかも上手でした。筆者はプロジェクトマネジメントを職業にしています。20年以上、この業界で仕事をしていますが、兄のようなレベルには達していないと感じます。筆者の記憶にある兄のやり方はプロジェクトマネジメントのスキルを天性身につけていた、そんな感じがします。ここで紹介しきれなかった「高松海浜キャンププロジェクト」やいくつかの「武勇伝」もありますが、また別の機会にします。思い出すと、筆者はつねに何もせずに兄に従っていただけでした。これからは、多少なりとも逆の役割を果たすよう心がけているところです。