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津曲 公二

知恩院(京都市東山区)
知恩院(京都市東山区)

新興宗教とは

安倍元首相が暗殺されたことで新興宗教の政治との癒着や信者とその家族の悲惨な実態が明るみに出るようになりました。ここで新興宗教と言うとネガティブに感じる方があるかもしれません。そもそも新興とは「既存のものに対して別の勢力が起こること」ということですから、宗教に限らず、伝統や既存のものに対して新しいものは何であれ新興です。

現在世界の宗教人口トップのキリスト教がローマ帝国で公認されたのは313年、正式に国教となり他の宗教が禁止されたのは392年です。イスラム教の成立は610年、仏教の成立は紀元前5世紀だそうです。世界の三大宗教のいずれもその成立から、1000~2000年もの時間が経過しています。こういう歴史の事実から、筆者は新興宗教の「新興」がとれて「宗教」と認知されるには少なくとも数百年の長い時間経過が欠かせないと考えます。

消費財であれば新興メーカーから購入して期待ハズレや被害があったとしても購入者の人生が大きく狂うような事態は考えられません。ところがことが宗教となると、「新興」は人生がとんでもない方向にぶれてしまう、今回の暗殺事件のような前代未聞の事態が起こりえます。何と言っても、これが新興宗教の最大のリスクと言えるでしょう。

我われ日本人は無宗教か

WEBサイトで「世界の宗教人口ランキング」で検索すると、1位キリスト教、2位イスラム教などと順位表が見つかります。3位は「無宗教」で、信者の多い国として日本などと記載されています。もちろん、無宗教は「無神論」ではありません。日本には八百万の神さまが存在しますから、無神ではなくむしろ真逆の多神の国です。それは年末年始の国民的行事で証明されています。クリスマスのイベントの次は大晦日にお寺の除夜の鐘を聞き、年が明けると神社へ初詣でに出かけます。これらは宗教的な行事ではなく、日本人としては当たり前の日常として定着しています。もちろん、これらをすべて忌避したとしても地域社会から迫害されることは無いでしょう。

信教の自由

イランで22歳の女性が、髪を隠す「へジャブ」のつけ方をめぐり警察に逮捕された後に急死した事件がありました。抗議運動が全国的に拡大し首都テヘランを含む全土で少なくとも35人が死亡したと伝えられています(2022.9.25 朝日新聞デジタル)。イスラム教の戒律を守らないと殺される国が現にある、我われには想像できないことです。さらに、16~17世紀の欧州でも政治がからんだ宗教戦争がたびたび起こっています。ひるがえってわが国では6世紀の仏教伝来からこれまで神道と仏教は、概観すれば平和的に共存してきたと言えるでしょう。1945年の敗戦後、憲法に信教の自由が明記されました。これは特定の宗教を信じる自由または宗教を信じない自由を指しています。

わが国は無宗教ではなく宗教freeの国

たまに宗教勧誘のため戸別訪問があります。筆者はインターホンで「うちは間に合っています」と返事したことがありました。あとで考えたことですが、これは消費財で言えば「在庫があるので今は不要です」という意味です。これとは別にsugar-free という表現があります。これは砂糖不使用を意味します。砂糖を含むものもあるが、これは砂糖を含まないものという表示です。筆者の返事「間に合っています」は「宗教的な感覚や信仰心はある」が、「現在のところは不要である」ということかなと思いました。いつもは不要なので使っていない、使っていないと
だんだん退化することは自然な流れです。ここで退化とは宗教的な感覚の退化のことです。この状態で外部から強力な宗教的刺激を受けると、正常な感覚で対応できなくなります。

防御機能が弱まる

外部から強力な宗教的刺激に対して、正常な対応ができないということは、防御機能が弱まる、低下することになります。コロナ感染症予防のため、ワクチン接種が奨励されています。
多くの人が接種して集団免疫ができれば、感染症の拡大を防止できて、かつ感染しても重症化を防ぐことができます。

今回の暗殺事件のもとになった新興宗教はコロナ感染症のように社会にとって害悪をなすものです。感染を防止するための集団免疫をつくるワクチン接種が必要です。筆者が研究チームで検討中の一案は、世界の宗教について学ぶことです。少なくとも高校教育くらいのレベルが必要と思われます。参考図書があります。「世界は宗教で動いている」(橋爪大三郎 光文社 2013年)、これについては別途の機会に紹介することにします。

筆者の免疫体験

鹿児島の片田舎で育った筆者の地元は、宗教としては浄土真宗のお寺が主流でした。母方の祖父がそのお寺の檀家でした。筆者は祖父から親鸞聖人の物語やスライド(当時は幻燈と言っていました)で面白がっていました。日曜学校もあると聞きましたが、通ったことはありませんでした。祖父は地元の実業家でしたから、ごく普通の門徒として行動していました。当時も新興宗教はいくつかありました。大人たちがどこそこの家庭は宗旨替えをして新興宗教に入信したと噂話を聞くこともありました。家庭内に何らかの問題をかかえているケースがほとんどだったと記憶しています。例えば、子供が難病にかかっているなどです。今思うに、新興宗教は既存の宗教が対応できないところを何らかの方法でフォローしていたことがわかります。現在の暗殺事件のような犯罪のもとになるような宗教活動は無かったようです。今考えると、平和な時代だったということです。